日本語のお手本がここにある
『日本語大シソーラス』の編者が、独自の手法で「小説の神様」の日本語の秘密を徹底解剖!
山科(やましな)川の小さい流れについて来ると、月は高く、寒い風が刈田を渡って吹いた。
[直哉・『山科の記憶』1925]
――主語が省略され、それも三文節でみな違っている。「月は高く、」とポンとつなげてあるが、英語なら、関係代名詞を使わなくては文章にならないだろう。それが直哉では、このようにすっきりした美しい文章になる。
(「序」より)
なぜ、志賀直哉の文章はすらすらと違和感なく読めるのか?
■志賀直哉の名文から見えてくる、日本語の新たな魅力
志賀直哉は「小説の神様」と云われ、その文章は紙面から活字が立ち上がってくると云う。ところが直哉の文章の一体どこが名文なのか、直(じ)かにあたってみると、一見すらすらと読めてしまうだけに、かえって分析するのが難しい。30年間、志賀直哉、森鴎外、井伏鱒二などの全集を読破して「名文」を採集しつづけ、『日本語大シソーラス』を編纂した著者が、独自の視点から直哉の名文を分類、分析した画期的な書。英語では決して表現できないすっきりとした美しさ、翻訳不可能と云われる融通無碍(ゆうずうむげ)な接続の技法、句読点の打ち方ひとつにまで施された並々ならぬ推敲……。直哉の名文を通して、日本語独自の自由、美しさを明らかにする。