とんち小僧「一休さん」と反俗の禅僧「一休」
その謎と矛盾に満ちた生涯の実像に迫る
とんち小僧として誰からも親しまれる「一休さん」は、禅院の世俗化を痛烈に批判し、森侍女(しんじじょ)との愛欲を赤裸々に詩いあげた反俗の禅僧でもあった。このあまりにも大きい落差を、どう考えたらいいのか―――。一遍、道元、良寛、最澄と、日本の精神文化史上の巨峰に挑みつづけてきた著者が満を持して放つ畢生(ひっせい)の書き下ろし巨編。
現代は、気づけばこの世のものとも思えない狂乱の坩堝(るつぼ)である。日本の歴史をふりかえると、一休の生きた室町という時代もまた、一皮めくればアナーキーな動乱の渦巻そのものであった。一休は、時に酒肆婬坊(しゅしいんぼう)の巷(ちまた)に、あえて破戒(はかい)の行(ぎょう)に身を浸し、狂を巻きおこすことをことさら強調している。中年には金銭による同門の僧の形式的授戒と得度の布教をこっぴどく罵倒し、また晩年には森侍女(しんじじょ)との恋愛を高々と歌い上げ、唯一の自著とみなされる詩偈集は『狂雲集』と名づけられている。その生涯をつらぬく語は「狂」である。一休の「狂」は、あらゆる限定を突き破って、天空の極を生きることであった。(著者のことば)