文芸評論家・縄田一男氏、唸る! 驚く!
「この作品で鳥羽 亮は風格が俄然増した」
"殺人剣"武蔵と"活人剣"兵庫助。
二代剣客がその生き様を賭けて対決した!
殺戮の戦国から太平の江戸へ。この大転換期を生きた二人の剣聖──宮本武蔵と柳生兵庫助(やぎゅうひょうごのすけ)。あくまで人を斬り、斃(たお)すための"殺人剣(さつにんけん)"を追求する武蔵に対し、兵庫助の新陰流の神髄は、人を活かす"活人(かつにん)剣"にあった。それはまさしく武芸の時代から政治の時代への変革であった。すでに斬るべき相手のいない江戸の世で、なおも兵法者の道を貫く武蔵。一方、組織に生き政治を執る武士として心を練り、身を修めてきた兵庫助。ともに不敗の剣の遣い手とあがめられ、互いを意識しつつ歩んできた二人が相まみえた時……。果たして己れの生き様を賭けた世紀の対決の行方は? "殺人剣"対"活人剣"の決着は? 希代の剣客の激闘をかつてない視点から描き切った新・剣豪小説!
重量級の面白さを持つ作品! 文芸評論家 縄田一男
こういう作品を会心作というのではないか。武蔵の"殺人剣"に柳生の"活人剣"。この二大剣客の相違は、兵法を通じての死生観の相違ばかりでなく、時流に乗るか否か、という異なった立場に立つ兵法の相違にあろう。生きとし生けるものすべてに対する慈愛を育んだ兵庫助の剣に対して、武蔵の剣はあまりにも強く、そして哀しい。時代の孤児となった者のかたくなさと表裏のようなものだ。従って二人の対決のドラマは、やがて"どちらが勝つか"から"武蔵はいつ兵庫助の境地を悟るのか"という点にずれてくる。剣のドラマを背後から支える人間のドラマも入念に仕立てられ、瑕瑾がないのは驚くばかりである。まさに剣豪小説としては、理想のかたちが取られている。重量級の面白さを持つ作品といえるだろう。(解説より)