<一死 以テ大罪ヲ謝シ奉ル――>
武士道を貫き、敗戦の日に自らの命を絶った覚悟の人!
最後の陸軍大臣、廉潔の生き様を描く入魂の歴史小説
「大本営はなぜ乃木閣下の日清戦争のご経験を生かさないのでしょう」
「さあ、どんなものかな。しかし私はいつ死んでもいい覚悟はしてあるよ。・・・・・・
あす前線へ出ても誤りなく武士のつとめをはたせるつもりだ」
「わかりました、常時軍服を身につけておられるのは、そのお覚悟のせいもあるのですね。いつ戦死されても恥ずかしくないように身なりをととのえておられる」
「そのとおりだよ阿南。私はいつも鏡を見て容儀(ようぎ)をととのえる。風流のためではない、不意の死にそなえるためだ。容儀を見て、いまの心のありようが武士道にかなっているか否かたしかめる。鏡に心を映すのだ」(本文より)
阿南惟幾(1887−1945)
東京生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。参謀本部員、東京幼年学校長などを経て、日中戦争では第百九師団長として中国山西(さんせい)省で活躍、勇名をとどろかせる。太平洋戦争中は第十一軍司令官、第二方面軍司令官として中国大陸、北豪州で作戦を指揮する。45年、鈴木貫太郎内閣の陸相となり本土決戦論を主張。ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議では国体護持の立場から条件付き受諾を主張、東郷茂徳外(とうごうしげのり)相らと対立。敗戦の日に自殺する。
<大君の深き恵にあみし身は 言ひ遺すべき片言もなし――>本土決戦を主張し、敗戦の朝、自刃して果てた最後の陸軍大臣・阿南惟幾。憧れの乃木希典(のぎまれすけ)にかけられたひと言から、武士道を体現した阿南の軍人人生は始まった。若き天才・石原莞爾(いしはらかんじ)とともに過ごした陸軍大学校時代、敬愛する昭和天皇と出会い忠義の心を強く芽生えさせた侍従官時代、三国同盟実現へのうねりの中で陸軍大臣・東条英機と対立した陸軍士官時代。そして、日増しに戦局の悪化する中国、太平洋戦線での指揮官時代・・・・・・。
廉潔にして勇猛な阿南惟幾にとって、軍人とは何だったのか、武士道とは何だったのか。そして、なぜ独り自決したのか!? 希代の将軍の波瀾の生涯を描く歴史巨編!