梓林太郎
巨人・松本清張をどうしても書いておきたかった。
20年の親交を軸に、後輩作家がいま初めて語るなつかしき日々。これは、昭和という時代を生きた「もう一つの歴史」でもある。
松本清張さんには時折、身勝手と受け取れる面があった。中年から作家になった清張さんは、その遅れを取りもどすかのように、目ざましい多作ぶりを示した。
「時間が惜しい」常にこの気持ちに背中を押されていたような気がする。仕事への集中のあまり、他人への配慮や相手の都合を忘れるのではないか、と思われることが何度かあった。深夜の午前2時に電話をくださったのもその一つではなかろうか。執筆中にどうしても知りたいことが起こったのだ。(本文より)
―著者の言葉―
一九八〇年までのほぼ二十年間、私は松本清張さんと親交があった。某氏の紹介で、お知り合いになった超人気作家に、一時の中断をはさんで、作家が必要とする作品のヒントを提供しつづけていた。その間、私は清張さんからじっと観察されていた気がし、緊張の連続だった。清張さんと近しくしていることを、私はごく少数の人にしか話していなかった。巨人が没して十年を経、人の勧めもあったが、私の目に色濃く映っていた「清張」の肉声を、書いておきたかった。
執筆中、私は病と闘う羽目になり、これが最後の作品になるのではという不安が、しじゅう頭の隅からはなれなかった。