国を率いる真のリーダーとは何か。混乱の時代を乗り切るヒントがここに。
かつて日本にはあった! 国家の気概 国民矜持
【内容の一部】
●日本に残した三つの大きな功績
●聖徳太子が皇位継承者とならなかった理由
●新羅への軍事介入で、愛する弟を失う
●聖徳太子が用いた抑止力
●国家としての気概を喪失した日本
●新羅の軟化を引き出した太子外交
●大国・隋と対等に臨んだ聖徳太子
●小野妹子らの機転で切りぬけた国家の危機
●黙っていれば、承服したとみなされるのが、世界の常識
●国家を背負っているという意気込みと熱意 etc.
■聖徳太子は、剛毅果断の武人
日本人の多くは、聖徳太子のことを、非戦主義者と誤解しているようだ。だが、史書に描かれた彼は、疑うことなく「剛毅果断(ごうきかだん)の武人」である。有名な「和をもって、貴しとなす」も、「大いに議論をつくせ」の意味にほかならないのだ。そして、対話では埒(らち)があかない輩(やから)と出くわすと、太子は力を示すことを厭(いと)わなかった。
当時対立していた隣国・新羅(しらぎ)を牽制するために、九州北部に大軍を集中させたことがある。その結果、みごとに新羅の軟化を引き出した。一方、現代日本の官僚たちはといえば、中国・韓国に遠慮して直言できず、北朝鮮の罵詈雑言(ばりぞうごん)を真(ま)に受けないのが大人の態度と決め込んできた。こうした気概のない外交態度はいますぐ改めるべきではないか。太子の事績から、学ぶ点は多い。