あえて“文明”にさからう私の生き方!
硬骨のジャーナリストが挑む、気宇壮大、かつ無謀な試みの顛末(てんまつ)とは?
〈ケータイが湛(たた)える無限の可能性を、私は心の底から認めています。けれどもケータイに真っ当な発展を遂げさせるためには、現代人はあまりにも未熟だと思います。少なくとも私には百年早い。だから私はケータイを持ちません〉
──本文より
ケータイの功罪をめぐり、IT界のカリスマ・津田大介氏との対談を収録
■ケータイの代わりに現代人が失ったものとは?
日本のケータイ契約数は1億2800万台を突破、今や現代は、それなしでは生活できない社会となった。
だが、便利さと引き換えに、失った物も多々ある。
それは、個人の尊厳や自由、私的空間、電磁波に冒(おか)されない健康、監視されない社会だ。
著者は、世の大勢に背を向け、「持たず、使わず、持ち込ませず」の非ケータイ三原則を貫くジャーナリスト。ケータイさえなければ起きなかった事件・事故を追跡、ケータイと共に変貌した日本の姿を憂(うれ)えて、「休ケータイ日のすすめ」を提唱する。