この国の始まりは
困難の連続だった――
天智は、天武は、持統は、
蘇我氏は、藤原氏は、
何を悩みどう対処したのか?
新たな説も飛び出し、対論は白熱!
●日本には、古代も中世もなかった
●天孫降臨(てんそんこうりん)神話の謎
●邪馬台国はどこにあったのか
●大王(おおきみ)→天王(てんおう)→天皇
●乙巳(いっし)の変は母子(おやこ)喧嘩!?
●中臣鎌足は大人物ではない!?
●遣唐使が持参したものと、しなかったもの
●白村江(はくそんこう)の戦い・敗北の真相
●壬申の乱の原因・里中説
●壬申の乱の原因・倉本説
●歌から読み解く、持統天皇の内面
●持統天皇行幸(ぎょうこう)の謎
●なぜ藤原氏は栄えたのか
●帝国・中国の本質
――本書の目次より
■古代を知ることは、現代を知ること
「日本」という国号が定まり、「天皇」という称号が成立した7〜8世紀。今に続くこの国の原型が出来上がった。
「古代もさまざまな事件が起きましたが、それらへの対処を見ると、現代人と同じようなことで悩み、苦しみ、喜んだと思えるのです」(里中)。「歴史を学ぶ意味があるとすれば、人間が過去から学ばず、同じ過(あやま)ちを繰り返す愚(おろ)かな存在であることを知ることにこそ、存在するのです」(倉本)。
古代史を専門とする歴史学者と、古代を舞台にした作品を数多く発表してきたマンガ家が語り尽くす。浮かび上がったのは、日本が現代も抱える問題点だった。