「余命2年の人生を一緒に過ごしてほしい――」
哀切の言葉を残し、消えた老作家。
北陸の古都で起こった悲劇の連鎖とは?
〈著者のことば〉
初めて金沢を訪ねたのは、25、6歳のころ。それは冬のはじめだったという憶(おぼ)えがある。金沢に住んでいる友人に招かれて、金沢城や兼六園(けんろくえん)を案内されたのだが、記憶が鮮明なのは、列車の左の窓に映った雪の立山(たてやま)連峰。帰りは、右の車窓に額を押しつけた。往(い)きも帰りも、稜線(りょうせん)を白い条(すじ)で描いた山脈に長いあいだ見とれた。「金沢」ときくと、私には街の景観よりも先に、白い連峰が目に浮かぶ。現在は、車窓の四季のうつろいに長く見とれるという列車の旅は、短くなった。
不治の病を抱えた老作家・有森(ありもり)が失踪(しっそう)した。行方(ゆくえ)捜しを頼まれた茶屋次郎(ちゃやじろう)は、有森が故郷・金沢のことを語らなかったことに疑問を抱く。北陸の古都へ飛んだ茶屋は、49年前の悲劇の存在を知った。有森の恋人が犀川(さいかわ)で惨殺されていたのだ。事件は未解決のまま時効を迎えたが、その16年後に事件を追ったライター2人が浅野川(あさのがわ)で不審死を遂(と)げていた事実が浮上。市街を貫く2つの川で時を経て起こった2つの事件は、いかなる関連があるのか? 有森はどこへ消えたのか? 過去の闇を解明すべく茶屋の推理行が始まった!