十津川班の若きエース・西本刑事、世界遺産に死す!
十津川警部、慟哭(どうこく)の捜査の行方は――?
〈著者のことば〉
上信(じょうしん)電鉄が走る富岡(とみおか)といえば、今や、世界遺産の富岡製糸場以外に考えられないが、太平洋戦争末期に、長野県松代(まつしろ)に巨大な地下大本営が造られた時には、この松代を守るために、何処(どこ)に防衛線を敷くかが問題になり、郡山(こおりやま)、沼田(ぬまた)、軽井沢(かるいざわ)を押さえて富岡が選ばれたのである。その理由が、上信電鉄だった。私鉄の上信電鉄の軌道(ゲージ)の巾(はば)が国鉄と同じなので、東京から物資や人間を運ぶ時、鉄道だけで可能だったからである。最初に移転したのは、陸軍中野(なかの)学校で、昭和20年4月に、富岡中学(今の富岡高校)に移転を完了。中野学校終焉(しゅうえん)の地が、富岡になった。富岡は、歴史の上で、平和の製糸場と戦争の陸軍中野学校の双方を受け入れたのである。
警視庁捜査一課の西本(にしもと)刑事が、群馬県の世界遺産・富岡(とみおか)製糸場で毒殺された。難事件に共に挑んできた若きエースの死に、十津川(とつがわ)警部は凍りついた。捜査に乗り出すと、犯行当日、西本が行動を共にしていた謎の二人組が浮上。9ヵ月前には、西本は捜査を休み、富岡を走る上信電鉄の写真を撮影していた。なぜ列車の写真を撮ったのか? やがて、高校の同窓生・牧野美紀(まきのみき)の失踪(しっそう)が判明、十津川は西本の死との関連を疑う。そんな折、高崎(たかさき)の達磨寺(だるまじ)で女性の他殺体が発見され、西本が達磨寺で特別祈祷(きとう)をしていたことが判る…。