あれから一年。供養(くよう)を邪魔(じゃま)する影があり……
亡き師に学ぶ己(おのれ)の器(うつわ)
「おまえ様、なんだか清之助(せいのすけ)がさらに遠くに行ったようで寂しゅうございますな」(中略)
しのがしょんぼりと呟(つぶや)く。
「清之助が葉月(はづき)様に心の中の悩みや思いを吐露(とろ)するのは当たり前のことだ。親離れしたのだ、成長と喜ぶべきであろうな。(中略)われらになんの不満があろうか」惣三郎(そうざぶろう)は一家の寂しさを振り払うように言い放った。
(本文より)
偉大な師米津寛兵衛(よねつかんべえ)の死から1年が過ぎようとしていた。惣三郎(そうざぶろう)は江戸から石見(いわみ)道場の面々を引き連れ、鹿島(かしま)で追善法要を行なうことを決めた。ところがその矢先、大岡忠相(おおおかただすけ)より探索の密命が下される。それは養子相続を巡る、奇怪(きかい)極(きわ)まりない事件だった。翻(ひるがえ)って剣術修行中の清之助(せいのすけ)は、名高い大和柳生(やまとやぎゅう)の門を叩く。切磋琢磨(せっさたくま)する友と出会い、静かに師を弔(とむら)う清之助だったが……。