上覧剣術大試合、再び。
佐渡(さど)に渡った清之助(せいのすけ)は未(いま)だ知らず
親子を巻き込む新たな時のうねり
「父上、兄上はあれで結構人に和するのが上手なのです。
私どもが案ずることなどなにもございませんよ」
とみわが言うと、
「みわ、それは違います。人に世話になるというのは
それなりの気を遣(つか)うということです。
ただ能天気に旅をしているのではございません」(中略)
としのが険(けわ)しく抗弁した。
(本文より)
将軍吉宗(よしむね)お声がかりの鹿狩(ししが)りに参加し不首尾(ふしゅび)だった咎(とが)で、直参旗本石河常康(いしこつねやす)が切腹した。半年後、亡き石河の臣を名乗る具足武者(ぐそくむしゃ)が、遺恨(いこん)を含んで惣三郎(そうざぶろう)を襲う。石河はなぜ切腹に至ったのか。その裏には、形ばかりになった武芸の闇が隠されていた。折りも折り、武芸の衰退(すいたい)を憂(うれ)える吉宗は、清之助(せいのすけ)の名を挙げ、再び上覧剣術大試合を開催せよと老中水野忠之(みずのただゆき)に命じる。