歴史発掘!
日本を捨て、異国に日本を広めた
ジョン・フデキチ(近藤筆吉)の生々流転――
19世紀ヨーロッパ
その男こそジャポニズムの発信源だった
明治維新を待たず、彼は海を渡った
英国ブライトン在住の著者が偶然発見した古い教会の記録。そこには幕末、曲芸一座の一員として江戸からロンドンに渡り、最後は教会守として生涯を閉じた日本人の名が書かれていた。武蔵の下級武士出身の曲芸師、ジョン・近藤筆吉。19世紀ヨーロッパを席巻した「ジャポニズム」の流行は、彼ら曲芸師たちが引き起こしたものだった。英国中くまなく巡業した曲芸一座の足取り、知られざる日本人村の存在など、当時の国勢調査記録と現地新聞の丹念な調査により、知られざる日英交流が浮かび上がる!
日本文化の宣伝者となった曲芸師たち
ヨーロッパ人は260年間国を閉ざしていた日本の文化風俗を目にして、物珍しさもあるが質の高い工芸品と、北斎の風景画や襖絵に見られるような線の美しさ、間と呼ばれる何も描かない部分の大切さなど、西洋画と違った完成度の高い美術に魅了された。
本書では、近藤筆吉の人生を追いつつ、幕末から明治初期にかけてイギリスへ渡った日本人曲芸師による日本文化の英国伝播に触れていく。
当時の英国人に日本文化を紹介し、英国社会に日本文化を浸透させた真の功労者は、これら日本人曲芸師たちなのではなかっただろうか。くまなく英国中を巡業した彼らは、間違いなく日本文化のよき宣伝者だったはずである。
私がブライトンで出会った名もなき教会守の人生は、英国に日本文化を浸透させた者のひとりだった。――プロローグより