死ぬまでにもう一度大好きな桜が見たいのです
男の面子(めんつ)か、女の終(つい)の夢か。
深川っ子が感涙(かんるい)した桜見物が始まった。
若き駕籠(かご)舁(か)きが疾駆(しっく)する痛快青春記。
世の中は三日見ぬ間に桜かな……深川(ふかがわ)大横川(おおよこがわ)沿いの桜並木は満開を迎えようとしていた。駕籠(かご)舁(か)きの新太郎(しんたろう)と尚平(しょうへい)の暮らす木兵衛店(きへえだな)も総出で明日の花見の仕度(したく)に忙しい。その日の昼、2人は坂本村(さかもとむら)の庄兵衛(しょうべえ)とその妻およねに知り合う。およねは足の自由が利(き)かず余命わずかなことを自覚していた。「大好きな桜をもう一度見たいのです」。およねの望みに新太郎たちは夫婦を花見に招待する。翌日、およねを乗せて大横川に向かう新太郎たちに、千住(せんじゅ)の駕籠舁き・寅(とら)が絡(から)んできた。無視する2人に、今度は寅の客・村上屋六造(むらかみやろくぞう)が早駕籠勝負をけしかける! およねのために我慢を重ねた新太郎だったが、やがて、この勝負を受けて立つことに。だが、賭(か)かった金が千両だったことから……。待望の「深川駕籠」シリーズ第3弾!
「ひとはゼニがなくても、生きていくことはできる」
新太郎(しんたろう)を真正面から見詰(みつ)めて、木兵衛(きへえ)はようやく話を始めた。
「ところが男には、これを失(な)くしたら生きてはいけないという、大事なものがひとつある。
おまえには、それがなんだか分かるか」
「あたぼうじゃねえか」
問われた新太郎は即座に答えた。
「面子(めんつ)だ」
ひと睨(にら)みしてから、木兵衛は新しい一服を存分に吸い込んだ。
火皿の刻(きざ)み煙草(たばこ)が真っ赤になった。
「新太郎……。おまえは男にとってなによりも大事な面子を捨てている」
吸殻(すいがら)を灰吹きに落としてから、キセルを新太郎の胸元に突きつけた。
(「花明かり」本文より抜粋)