知られざる幕末の秘史を描く長編歴史傑作!
その最期は、ただ「諫死(かんし)」とだけ記(しる)された───。
信濃(しなの)の小藩 須坂(すざか)藩主は、
なぜ江戸城中で切腹したのか!?
誇(ほこ)り高く武士の道を貫(つらぬ)いた若き大名の鮮烈な生涯
「恐れながら、申し上げます」
一万五十三石という全国でも最小の小藩・須坂(すざか)。十三代藩主の堀直虎(ほりなおとら)は、幕末の徳川幕府が最も困難な時期に、若年寄兼外国惣奉行(そうぶぎょう)という、現代で言えば「外務次官」にあたる、小藩藩主としては異例の要職に就(つ)く。
だが、藩内では重役への賄賂(わいろ)が横行、人心も疲弊(ひへい)していた。直虎は、藩政改革を断行、さらに洋式軍備を取り入れるなどして、幕末の激変期に備(そな)える。
やがて十五代将軍慶喜(よしのぶ)の大政奉還後には、親友の土佐新田(とさしんでん)藩藩主山内豊福(やまうちとよよし)とともに、御三家紀伊(きい)大納言らに幕政堅持を訴えることに。そして、朝廷への恭順(きょうじゅん)か抗戦かで揺れる江戸城中で、直虎は切腹して果てる。記録には「諫死(かんし)」とのみ。「誰に」「何を」諫(いさ)めたのか…。
武家の誇りを高く抱(いだ)き、時代を見る英知を備(そな)えた若き大名が選んだ矜持(きょうじ)を描く!